温泉巡りを始めたきっかけ

 2000年代前半は長時間労働こそが美徳

大阪生まれ大阪育ちの私は、2001年に初めて実家を離れ、名古屋で就職し社会人人生をスタートしました。

当時を思い返してみると、「働き方改革」「ワークライフバランス」などの言葉はまだ無く、長時間労働こそが美徳、会社に意味なく長時間滞在することで会社への忠誠を誓うといった、悪しき習慣がどこの組織にも蔓延っていた時代かと思います。当時の退社時刻は、平均すると日付が変わるかどうかの時刻でした。

「ハラスメント」なんて言葉も存在せず、ハラスメントに耐えることで忍耐が鍛えられ、社会人としての経験値を身に着けるといったような、意味が分からない価値観が一般的だったと記憶しています。

こういったエピソードもあります。金曜日の19時から知人とマージャンの約束をしており、18時半にパソコンを閉じて退社しようとした途端、当時の上司から「お前、あれやったのか?これやったのか?やらないで帰ろうとしているのか?」など、いじわる婆のごとく、急に今すぐにやらなければならないわけでもないことを求められました。他人のプライベートをつぶしにかかるいじめの様な経験も数知れずあった時代です。その影響で、人間関係がおかしくなったことも数知れずです。

原則、土日は休日でありましたが、先に記載したように、会社に長時間滞在しなければ、忠誠心を疑われるため、土曜日はほぼ出社。日曜日は衰弱しきっており、完全に廃人状態という毎日を送っていました。「サザエさん症候群」といった、日曜の夕方から、翌日のことを考えると憂鬱になる症状がありますが、私の場合は、日曜の午前中から憂鬱で、謂わば「笑っていいとも増刊号症候群」といったところでしょうか。いっそのこと、この世から消えたいと思うほどの症状が毎週続いていました。

雑誌で見た開放感あふれる露天風呂

2003年のある日曜日、洗濯の合間に東海圏の情報誌に目を通していました。ページを繰っていると、一枚の写真に思わず目を留めました。「新穂高温泉新穂高の湯」の写真です。

この時は、何かの折に温泉に入ったことは過去にあったと思いますが、まだ意識して温泉巡りをする前のことです。温泉好きというわけでもない時です。温泉に関するあらゆる知識も全く持ち合わせていない状態であり、そんな私にとって、新穂高の湯の写真は、何と言いましょうか、「とにかく行かなければならない!」と何故だが強く思ったことを記憶しています。恐らく、今の環境から遠く離れたところへ逃げたいという思いも背中を押したと思います。

2003年当時、休みの日は、テレビもない六畳一間の寮の部屋で心を沈ませているか、近所のスーパーに買い出しに行くか、パチンコ行くか、JRAウインズに馬券を買いに行くかくらいであり、車で片道3時間かかる遠方まで出向くというのは、相当ハードルの高いことでした。

私は気が弱く、なかなか判断できない人間ですが、この時ばかりは、「次の日曜日、新穂高に行こう」と迷うことなく意思決定し、しっかりと実行に移すことができました。行けば何かがあるという根拠のない思い込みがあったということです。

これまでに経験したことのない開放感

名古屋から新穂高温泉まで200km強。これだけの長距離ドライブは初めてでした。当時の自家用車にはカーナビもついていません。途中、何度も停車し、地図とにらめっこしながら、5時間ほどかけて新穂高の湯に到着しました。道中、高山近辺で、屋根に桃みたいなのが飾ってあるとんでもなくド派手な建物が現れ、後で調べたところ、真光教というところの建物でした。当時は東海北陸道を飛騨清見インターで降り、そこからは下道で奥飛騨温泉に向かっていたので真光教の建物横を通ったのですが、今は高山インターまで高速道路が伸びたため、最近は見ることがなくなりました。しかし、15年以上経った今でも、そのインパクトは強く残っています。

さて、駐車場から橋を渡って階段を降りると新穂高の湯なのですが、橋の上から見下ろした新穂高の湯は、雑誌で見たそのものでした。普通に外に風呂があります。しかも、数人が何てことなく入浴しています。「おいおい、こんな丸見えなところで素っ裸になるのか」と大変戸惑いました。何しろ温泉初体験が丸見え露天なのですから。まあ、来たからには浸からなければ帰れないということで、意を決して丸裸になり浴させていただきました。

温かったため1時間以上入浴したと思います。初めは緊張していましたが、徐々に周りを見る余裕も出てきて、今自分が置かれた状況を冷静に考えたとき、この上なく開放的な気分になりました。足元の砂利からぷくぷく、目の前はザーザー流れる澄み切った川、遠くに目をやると、標高の高い連峰がそびえています。そんな、「ザ・自然」と思える中に生まれたまんまの姿の自分。

温泉ってすごい!素直にそう思えました。また来たい。このように思えた新穂高温泉での経験が、私が温泉巡りを始めたきっかけです。

 

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2007年6月当時の新穂高温泉新穂高の湯。雨後で濁っており入浴を断念。足元の砂利から湧出しており、今とは作りが異なる