温泉巡りに求めるもの
適切な言葉が見つからない
17年も温泉巡りを続けているわけですが、改めて温泉巡りに求めているもの、期待しているものとは何か?と思い返してみると、なかなか適切な言葉が見つかりません。
ストレス解消ということは間違いないですが、どのような効果をもってストレス解消につながっているのか、明示するのはなかなか難しいものです。
成分うんぬんかんぬんは強がり時代の説明
温泉巡りを17年もしていると、温泉分析表を隅々まで見る癖がついてしまっています。一時期は、「温泉巡りの魅力は?」との問いには、「温泉分析表を見て、その温泉の情報を事前にインプットして、その温泉の浴感を想像して、実際に入浴して、答え合わせをすることが楽しみ」みたいな、あたかも下手に玄人ぶって、素人の方には興味が失せるような面倒くさい回答をしていた時期があります。
こうした行動を実践しているのは事実ですが、決して温泉巡りの絶対的な魅力がそこにあるわけではありません。。もっと、何かこう、引き付けられる要因があるわけですが、どう表現したらいいのかが難しいのです。
温泉の効能は翌日には振出しに戻る
温泉には適応症があります。浸かったり飲んだりした際の効能のことです。
泉質ごとにさまざまな適応症がうたわれています。ここでは、泉質の説明は割愛しますが、白い濁り湯に代表される硫黄泉には、「アトピー性皮膚炎」「尋常性乾癬」などの適応症があります。もっと噛み砕いて言うと、温泉には含有されている成分のおかげで、保湿効果や保温効果、美肌効果などの効能があるとうたわれているわけです。
私は17年ほど温泉を巡ってきた結果、今ではこうした温泉の効能には全くと言っていいほど期待しなくなりました。確かに、炭酸水素塩泉に浸かった直後は肌がスベスベするのが感じられるし、塩化物泉に浸かった直後は沸かし湯とは比べ物にならないくらいの温もりが感じられます。しかし、こうした肌で実感できる温泉の効能は、寝て、朝目覚めたら、毎回、無に帰しているのです。
温泉の力は湯治でこそ発揮される
一方、一か所の温泉地に中長期的に湯治をする場合は、温泉の効能を持続的に感じることができるのではないかと思っています。ある温泉地で、「交通事故に遭い、関節が動かなくなったが、リハビリ目的に毎日この温泉に入るため近所に引っ越してきた。2か月入り続け、関節が動くようになった」という方に出会いました。温泉に入らなかった場合の検証ができないため確証はありませんが、関節の回復には温泉の力も後押ししたのではないかと、私は思っています。
現役世代に湯治は難しい
私は現役の会社員です。暦通りに仕事をするサラリーマンです。そのため、土日祝日が原則休みであり、その休みを利用して温泉巡りをしています。加えて、懐具合の都合もあり、これまで、三泊四日の温泉巡りが過去最長です。同じ宿での宿泊は二連泊が最長です。
この程度の期間の温泉巡りでは、体に付着した温泉の効能はすぐに消滅してしまうと思っています。あえて言えば、硫黄泉などのにおいの強い温泉が、毛が密集している部分を中心に、一週間くらいその香りを発するくらいです。
とにもかくにも、現役世代が中長期的な湯治をするということは、大変ハードルが高く、あまり現実的ではありません。にもかかわらず、何故私は温泉巡りを続けるのかということになります。
「転地効果」この言葉がしっくり来た
温泉についての情報収集でネットサーフィンをしていたところ、ある言葉が目に入りました。「転地効果」です。「転地効果」とは、日常生活を離れいつもと違う環境に身を置くことで、五感が刺激され、呼吸や消化などを司る自律神経の中枢に作用し、心身が元気になったり、リラックス効果が得られると言われているということです。
ついに、しっくり来る言葉に出会ったという感じです。私が温泉巡りに求めているものを適切に示した言葉です。日常の喧騒から離れ、解放的な環境で時間を過ごすことで、リフレッシュしリラックスできるということを期待しているわけです。まさに「転地効果」そのものです。
では何故、温泉巡りなのでしょうか?別に温泉でなくても寺社仏閣巡りや山登りなど、日常生活を離れる遠出手段はいくつもあるはずです。今流行りのキャンプなどもあります。
そんな中、私が温泉巡りを選んだ理由は、「解放感」「しがらみがない人間関係」、この二つが満たされるからです。
老若男女関係なくありのままの自分で
私は、組織に属するサラリーマンですが、人付き合いが苦手であり、忖度が下手くそな性分です。2020年1月時点の仕事自体に不満はありませんが、仕事を通して人と接することに、毎日消耗しています。
そんな日々の生活とはかけ離れた環境に身を置きたい、仕事と関係のない方々と気を使うことなくコミュニケーションをとりたい、そうした思いが私を温泉巡りに導くのです。
温泉に入る時は生まれたまんまの姿であるからでしょうか、内面の部分もありのままの自分を表出することができます。人としての最低限のマナーは遵守しますが、不思議なことに、老若男女、身分を問わず、下手に気を使うことなく同じ目線で自然とコミュニケーションが取れるのです。
こうした魅力的な空間が温泉にはあると私は認識しており、だからこそ転地効果を求め、温泉巡りを続けるのです。